「赤ちゃんポスト」という“通称”に踊らされないでください。事の本質が見えなくなってしまう危険性があります。
「赤ちゃんポスト」というのは、あくまでも報道機関が呼称しているだけであって、正式名称は「こうのとりのゆりかご」です。
この「赤ちゃんポスト」という通称が与えるイメージだけが先行してしまい、「赤ちゃんを物として扱うなんて」と、事の本質には遠く及ばないところで、論議や国民感情が沸騰してしまっているようですが、本質はそこにはありません。
「こうのとりのゆりかご」は、病院の壁に設置された扉から、なかに置かれたベッドに赤ちゃんを預ける仕組みで、職員が24時間態勢で待機し、すぐに赤ちゃんを保護します。
あるジャーナリストの方がおっしゃっていました。
「赤ちゃんポストには反対しない。善意でやっていることもわかる。
でもやるのならば、なぜ人ひとりいて、直接お母さんと対面しない? 人が窓口とならない?
人と顔をあわせれば、考え直す人もいるかもしれない。
あの考え方自体には反対しないが、あれをポストにした時点でアウトだ」
しかし、わたしは
「いや、そういった状況にある人というのは、人と顔をあわせることができない人が多いのではないか。そこまでの事情があったり、そこまで追い詰められた状況だったりするのではないか。
だから、匿名・非対面式にする意義はある」
と考えます。
もちろん、赤ちゃんに罪はない。
親の事情がどうであろうと、赤ちゃんには罪はありません。
赤ちゃんは親を選べません。
しかし、だからこそ、親が育てることに限界がある場合、公共の力でもって、その限界を超えたところをフォローアップすることが必要だと思うのです。
完璧な親などいないのですから、「理想」を社会が押し付けてはいけないのです。
その重圧は、親たち(こと母親)に重く重く圧しかかります。
「母性神話」というものがあります。
「すべての女性には生来的に母性本能が備わっている」「女性は母親になったら、母性本能をもって、子どもを無条件に愛するもの」などという「社会的な思い込み」です。
この思い込みがあるせいで、「いい母親でいなきゃ」というプレッシャーに苦しみ、理想どおりにいかない育児の現実に、「自分はだめな母親だ」と自責の念に駆られたり、ストレスを抱え込んだり、悩んだりしている女性が非常に多いのです。
母性神話についてはかねてからこのブログでも書こうと思っていたので、事例など詳しくは、また別の機会に書きますが、これは非常に根深い問題で、虐待や子殺しなど、深刻な事態の一因となっています。
育児は、そうそう思いどおりにいくものではありません。
また「産後うつ」というものがありますが、これは精神論で解決したり、予防したりできるものではありません。
というのは、妊娠中や産後は、女性の身体のなかでは、ホルモンが大きく変動します。その影響は体臭が急に変わったり、体毛がいきなり濃くなったかと思ったら抜けてしまったりと、驚くほど大きなものです。
そして、ホルモンの変動は、女性の情緒面にも大きく干渉するのです。
ですから、産後うつをはじめとした母親の精神的な問題は、「身体的なこと」が要因となっているわけで、そう簡単なメカニズムでなっているものではない、したがって解決も決して容易なことではないのです。
そんな時期に、母親を「母性神話」で縛って責めるのは、あまりにも酷です。
まわりが責めなくても、母親は責められるとかんじてしまう。
それは「母性神話」が、あまりにも根強く広く社会に浸透してしまっているからです。
それこそが「母性神話」による母親への拘束なのです。
あくまでも一例ですが、こういった背景があって、虐待死や子殺しがあるわけで、それを食い止めようと、通称「赤ちゃんポスト」こと「こうのとりのゆりかご」が設置されたのです。
ですから、「赤ちゃんポスト」こと「こうのとりのゆりかご」の是非を問うことよりも、なぜこれが設置されなければならなかったのか、「赤ちゃんポスト」こと「こうのとりのゆりかご」が設置されるに至った社会的背景こそをどうにかするべきなのです。
また、どうしてもというときには、逃げ道がある。
そのこと自体が、親を楽にすることもあります。
「こうのとりのゆりかご」を実際に利用する・しないは別にしても、「そういった場所がある」という現実が、親を支えることもあれば、また「そこに子どもを預けるようなことにはしたくない」と、親の励みになることもあるかもしれないのです。
一方で、子どもをほしくても授かることのできない夫婦もいるのです。
そういった方々が「親になる権利」を享受するために、養子縁組という選択肢が、もっと一般的なこととして、前向きに選ばれていく社会にしていくべきです。
育児、家事、仕事、生活のすべてを夫婦で協力しあっていますか?
パートナーは負担をかんじていない、と断言できますか?
避妊は完璧にしていますか?
避妊には100%というものはなく、セックスをする限り、かならず妊娠の可能性はつきまといます。
それでも、自分には望まない妊娠をするリスクはない、と言い切ろうとしますか?
【関連記事】
「世論はこうして作られてゆく―「赤ちゃんポスト」という“通称”の罪。ないがしろにされる「こうのとりのゆりかご」の本質論」
「「こうのとりのゆりかご(俗称:赤ちゃんポスト)」に預けられた子のその後を考える(1)~養子縁組と里親制度」
* 大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net *
* http://www.okawauchimari.net/ *
*参考
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