カテゴリー「書籍・雑誌」の2件の記事

「デートDV」とは &DV被害者・加害者に経験者のわたしが勧める解決のヒント

<恋人間暴力>10~20代の男女50%が経験 内閣府調査

Ddv(毎日新聞 - 11月09日 20:12)
 内閣府は9日、10~20代の若い世代での恋人間の暴力(デートDV)に関するインターネット調査の結果を発表した。男女とも50%が交際相手から肉体的・精神的な暴力を受けた経験があると回答。その際に相談した相手は「友達」が55.5%(複数回答)で最多だったが、42.7%は誰にも相談していなかった。

 デートDVは、配偶者や内縁関係者の暴力を規制するDV防止法が適用されず対策が難しいため、内閣府が初めて実態を調査した。事前に登録したモニター約60万人のうち10代と20代の未婚男女を無作為で抽出し、358人(男性192人、女性166人)から回答を得た。

 恋人との関係について、男性の35.4%(複数回答)、女性の56%(同)が「恋人が自分勝手な行動を取ると不愉快」と回答。「暴力を受ける側にも悪いところがある」と考える人も10.1%(同)いた。こうした考えが、デートDVが広がる背景にあるとみられる。

 「恋人がいる」「過去にいた」と答えた258人のうち、男性の53.1%、女性の44.6%が携帯電話に絡む被害を経験していた。複数回答の内訳は、「電話に出なかったり、メールにすぐ返信しないと怒られた」(38.8%)▽「着信・発信履歴を勝手に見られた」(16.7%)▽「1日に何度も行動を報告するよう命じられた」(7.4%)などだった。

 このほか、恋人との間で「機嫌が急に悪くなったり、優しくなる相手にいつも気を使わされる」(33.7%、複数回答)▽「行動を制限される」(21.7%、同)▽「言葉で嫌な思いをさせられる」(13.2%、同)などの経験が目立った。【三沢耕平】


この記事を書くにあたり、まず申し上げておきますが、
かねてよりカミングアウトしておりますように、

わたしにはDVの被害体験もあると同時に、
加害体験もあります。

(DVの定義は身体的暴力に限りません)

そのことを嘘偽りなく、ここに告白しておきます。


またDVに関するわたしの基本的な考え方は、
記事最下部に記しました【関連記事】(過去記事です)
ご理解いただけるかと思います。


その上で、デートDVを含むDVの被害者・加害者が
そこから脱するための方策
として、
わたしが被害・加害両方の体験をもって、
否、体験があるからこそ
推奨したいこと
をお話します。


心理学の一分野に「交流分析」というものがあります。

エゴグラムなどはネットなどでもやったことのある方が
多くいらっしゃるかもしれませんね。


「交流分析」において、
「ゲーム」(あるいは「ドラマ的交流」)と呼ばれているものがあります。


これは一言で言うと、
人がほとんど無自覚に行ってしまっている、
負のコミュニケーション、負の結末を招く行動・言動のパターン
のことです。

これは
「自己否定」あるいは「他者否定」の証明
として、
当人にも周囲にも無自覚に行われます。


たとえば、

  • 途中まではうまくいっているのに、なぜか肝心なところで失敗したり挫折したりしてしまう人
  • いつも遅刻ばかりしてしまう人、約束を守れない人
  • 結婚できない男女
  • いつもおなじような失敗ばかりを繰り返してしまう人
  • ひどい目に遭ってばかりいる薄幸な人
  • どうせ返ってこないお金を貸しつづけてしまう人

など、あなたにも心当たりはありませんか?

これらの背景には「ゲーム」が隠されています。


そして実は、
(デートDVを含む)DVの影にも、
この「ゲーム」が潜んでいることが多い
、と
わたしは見ているのです。


冒頭に引用した、デートDVに関する調査で
回答されている被害内容の項目は、
「ゲーム」の典型
です。


繰り返しになりますが、
これは当人や周囲にはほぼまったくの無自覚のまま
行われます。


ですが、
「自分がゲームを演じていた」とか
「だれかのゲームに巻き込まれていた」とか
気付くこと
によって、

解決への大きな一歩を踏み出せる、と

わたしは体験をもって確信しています。


だから、まずは知ってほしい。
そう強く願いします。

「ゲーム」や交流分析について詳しくはおいおい書きますが、

取り急ぎ、ここでは既刊の書籍でオススメのものを
いくつかご紹介しておきます。


あなたが演じるゲームと脚本―交流分析で探る心のうら・おもて
これは一般向けに平易に、実例も交えてわかりやすく書かれています。
専門知識など一切なく読めます。

人生ドラマの自己分析―交流分析の実際」は交流分析を学ぶのにとてもよい入門書です。読み物として読めます。
こじれる人間関係―ドラマ的交流の分析」は交流分析のなかでも「ゲーム」の種類などを詳しく解説。上記を読まれてから、応用編として読まれるといいでしょう。

【関連記事】
「逆DV」
新婚夫婦に潜むDV ~携帯わいせつ画像で口論、新婚の妻絞殺容疑の夫逮捕
性犯罪、DV(ドメスティックバイオレンス)、PTSD……傷ついた方たちへ
ドメスティック・バイオレンス(DV)の被害者は女性だけではない。
セックスレスというDV(1)――セックスレスの心理学(2)

大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
http://okawauchimari.net/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「赤ちゃんポスト」という“通称”に踊らされないでください。事の本質が見えなくなってしまう危険性があります。

 

「赤ちゃんポスト」というのは、あくまでも報道機関が呼称しているだけであって、正式名称は「こうのとりのゆりかご」です。

 この「赤ちゃんポスト」という通称が与えるイメージだけが先行してしまい、「赤ちゃんを物として扱うなんて」と、事の本質には遠く及ばないところで、論議や国民感情が沸騰してしまっているようですが、本質はそこにはありません


「こうのとりのゆりかご」は、病院の壁に設置された扉から、なかに置かれたベッドに赤ちゃんを預ける仕組みで、職員が24時間態勢で待機し、すぐに赤ちゃんを保護します。

 あるジャーナリストの方がおっしゃっていました。
「赤ちゃんポストには反対しない。善意でやっていることもわかる。
 でもやるのならば、なぜ人ひとりいて、直接お母さんと対面しない? 人が窓口とならない?
 人と顔をあわせれば、考え直す人もいるかもしれない。
 あの考え方自体には反対しないが、あれをポストにした時点でアウトだ」

 しかし、わたしは
「いや、そういった状況にある人というのは、人と顔をあわせることができない人が多いのではないか。そこまでの事情があったり、そこまで追い詰められた状況だったりするのではないか。
 だから、匿名・非対面式にする意義はある
 と考えます。


 もちろん、赤ちゃんに罪はない。
 親の事情がどうであろうと、赤ちゃんには罪はありません
 赤ちゃんは親を選べません

 しかし、だからこそ、親が育てることに限界がある場合、公共の力でもって、その限界を超えたところをフォローアップすることが必要だと思うのです。

 完璧な親などいないのですから、「理想」を社会が押し付けてはいけないのです。
 その重圧は、親たち(こと母親)に重く重く圧しかかります


母性神話」というものがあります。
すべての女性には生来的に母性本能が備わっている」「女性は母親になったら、母性本能をもって、子どもを無条件に愛するもの」などという「社会的な思い込み」です。

 この思い込みがあるせいで、「いい母親でいなきゃ」というプレッシャーに苦しみ、理想どおりにいかない育児の現実に、「自分はだめな母親だ」と自責の念に駆られたり、ストレスを抱え込んだり、悩んだりしている女性が非常に多いのです。

 母性神話についてはかねてからこのブログでも書こうと思っていたので、事例など詳しくは、また別の機会に書きますが、これは非常に根深い問題で、虐待や子殺しなど、深刻な事態の一因となっています。


 育児は、そうそう思いどおりにいくものではありません。

 また「産後うつ」というものがありますが、これは精神論で解決したり、予防したりできるものではありません
 というのは、妊娠中や産後は、女性の身体のなかでは、ホルモンが大きく変動します。その影響は体臭が急に変わったり、体毛がいきなり濃くなったかと思ったら抜けてしまったりと、驚くほど大きなものです。

 そして、ホルモンの変動は、女性の情緒面にも大きく干渉するのです。

 ですから、産後うつをはじめとした母親の精神的な問題は、「身体的なこと」が要因となっているわけで、そう簡単なメカニズムでなっているものではない、したがって解決も決して容易なことではないのです。


 そんな時期に、母親を「母性神話」で縛って責めるのは、あまりにも酷です。
 まわりが責めなくても、母親は責められるとかんじてしまう
 それは「母性神話」が、あまりにも根強く広く社会に浸透してしまっているからです。
 それこそが「母性神話」による母親への拘束なのです。


 あくまでも一例ですが、こういった背景があって、虐待死や子殺しがあるわけで、それを食い止めようと、通称「赤ちゃんポスト」こと「こうのとりのゆりかご」が設置されたのです。


 ですから、「赤ちゃんポスト」こと「こうのとりのゆりかご」の是非を問うことよりも、なぜこれが設置されなければならなかったのか、「赤ちゃんポスト」こと「こうのとりのゆりかご」が設置されるに至った社会的背景こそをどうにかするべきなのです。


 また、どうしてもというときには、逃げ道がある。
 そのこと自体が、親を楽にすることもあります。
「こうのとりのゆりかご」を実際に利用する・しないは別にしても、「そういった場所がある」という現実が、親を支えることもあれば、また「そこに子どもを預けるようなことにはしたくない」と、親の励みになることもあるかもしれないのです。


 一方で、子どもをほしくても授かることのできない夫婦もいるのです。
 そういった方々が「親になる権利」を享受するために、養子縁組という選択肢が、もっと一般的なこととして、前向きに選ばれていく社会にしていくべきです。


 育児、家事、仕事、生活のすべてを夫婦で協力しあっていますか?
 パートナーは負担をかんじていない、と断言できますか?
 避妊は完璧にしていますか?
 避妊には100%というものはなく、セックスをする限り、かならず妊娠の可能性はつきまといます。
 それでも、自分には望まない妊娠をするリスクはない、と言い切ろうとしますか?


【関連記事】
世論はこうして作られてゆく―「赤ちゃんポスト」という“通称”の罪。ないがしろにされる「こうのとりのゆりかご」の本質論
「こうのとりのゆりかご(俗称:赤ちゃんポスト)」に預けられた子のその後を考える(1)~養子縁組と里親制度


* 大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net
http://www.okawauchimari.net/


*参考

続きを読む "「赤ちゃんポスト」という“通称”に踊らされないでください。事の本質が見えなくなってしまう危険性があります。"

| | コメント (2) | トラックバック (6)