真美さんのWEBサイトで、『空色リボン・キャンペーン』のバナーを発見。
この運動は、悪しき『性犯罪』を『いたずら』などという軽い言葉で表現させないための運動です。
これは、かねてより、わたしも、まったく同様のことを考えていました。(※後述)
ブログ“SEX-Therapy【セックスセラピー】 presented by Mari Okawauchi”、ならびに、自身も、世間一般では『いたずら』と称される『性犯罪』の被害者に遭い、20年を経たいまも、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの苦痛を受けております、わたし、大川内麻里は、
『空色リボン・キャンペーン』の趣旨に、全面的に賛同、ご協力させていただきます。
このブログ“SEX-Therapy【セックスセラピー】 presented by Mari Okawauchi”でも、性犯罪――強姦、レイプ、痴漢行為などに関する連載をしてきました。
その対象が子どもである犯罪、事件についても連載してきました。
また、これ以前にも『麻生暁美』の筆名を主に、性犯罪に関する、さまざまな文筆・執筆活動を行なってきています。(未発表、未完のものを含め、ノンフィクション、自伝的小説、評論、詩作品など)
* * *
わたしが、被害に遭ったのは、ピアノのお稽古の帰り道。当時の自宅まで、ほんの数歩のところでした。
自分は、いったいなにをされたのか。させられたのか。わからなかったけれど。
ただ、わからないけれど、これは、きっとだれにも言っちゃいけないことなんだ、隠しておかなきゃいけないことなんだって。きっと、お父さんやお母さんが、悲しい気持ちになることなんだって。
わたしは記憶を封じ込めました。両親のために、そしてなによりも、わたし自身を守るために。
やがて、中学生ともなると、恋人もできます。
でも、セックス関連のこととなると、どこか頭のなかで、信号が点滅するような感覚を覚え続けるのです。けれど、ひたすら目をつぶったまま生きてきました。
事件のことを、はっきりと認識したのは、21歳のとき。断片的な風景を夢に見てから。
隣で寝ていた、後に、わたしの元夫となった、当時の彼氏に無邪気に、その夢の内容を語ろうとして、「なんかねー、夢見てたの。んっとね、よく覚えていないんだけれど、子どものころにね、よく遊んでいた空き地があって、そ……」
――雑草だらけの空き地。
そこに停められた一台のワゴン車。
きれいな夕焼けが、だんだんと濃く暗くなってゆく。
星のように見えた、ほんの目のまえにある、家族の待つ家。
後部座席に連れ込まれた8歳の少女。
鼻を突く匂い。
怯え、震えるわたしとは、裏腹に、にやつき、興奮でうわずる男の声。
頭のなかが真っ白になり、わたしの耳には、男の言葉が、まるで遠いどこかから聞こえてくるように。
後悔の念が、水面に落ちた一滴の墨汁のように、じわじわと広がっていく。
しかし、それに抗う方法を、幼い私は知らなかった。
気が遠のいていく。
荒くなっていく男の息づかい。
そして、わたしは、機械仕掛けの人形になった。
――点が、線に、なった。
あのとき、わたしがされていたこと、それは……めまいと吐き気に襲われ、視界がぐるぐると回転していく。
記憶の奥底に眠り続けていた遠い日の出来事。封じ込められていた悪夢は、10年以上もの月日を経て、突然目を覚ました。
蘇る記憶。目を背けていた事実。
呼び起こされた記憶は流れた時間(とき)と重なり、そして、はじめて明白な現実となったのです。
* * *
思春期から、わたしは、さまざまな心の病気を発症しています。精神病院にも、何度入退院を繰り返したことか。
――神経症、不安神経症、仮面鬱病、パニック障害、パニック性鬱病、鬱病、PTSD(心的外傷後ストレス障害)――病名なんて記号にすぎない。そんなことは、どうでもいい。
ただ、8歳当時、いくら頭に禿をつくっても、自分の髪の毛をむしりとることがやめられなくなったことを覚えています。理由はだれにもかわりませんでしたが、いま振り返ると、長く伸ばした髪というのは、当時のわたしにとって、無意識にも『女性性』の象徴であったのでしょう。
中学生、高校生(のちに中途退学)にもなると、拒食と過食の繰り返しをやめられない。自傷行為が止まらない。テレクラにナンパ、性的逸脱行為の数々。たった一度だけど売春にも手を染めた。お金がほしかったわけじゃない。そんなもの見たくもないもので、すぐに捨てるも同然に使ってしまった。
これらのわたしのたどってきた道が、8歳のときの、あの事件と、まったくの無関係だとはいいきれるでしょうか。
* * *
現在、子どもが犠牲になる卑劣な事件が相次いでいます。
そうですね、10年まえくらいかな、そのくらいのわたしなら、ペンの力を「腐った貴様らを、世のなかから徹底的に排斥してやる!」と、ただただ、復讐の手段として使っていたでしょう。
性犯罪の刑罰を重くするなどといった、単純なところにしかいきつかなかったでしょう。
でも、いまは違います。
こういった犯罪者たちを生み出している社会。その社会の一員である、わたしたちにも、そういった事件の責任があると。
極論をすれば、そういった社会をつくっている、わたしたち自身こそが、加害者であるという認識をもっています。
また、それでは、事件が起きてしまってからの対処への働きかけにしかすぎない。事件が起こってからでは遅いのです。未然に防がなければいけないのです。
ですから、このブログ“SEX-Therapy【セックスセラピー】 presented by Mari Okawauchi”
の性犯罪に関する連載においても、子どもが犠牲となってしまった性犯罪の連載においても、被害者の悲惨な末路をお伝えするとともに、加害者心理にも迫ってきました。
どうすれば、確実な人格破壊であり、心理的子宮の切除でもある、この許されざるべき犯罪を食い止めることができるのか、未然に防ぐことができるのか――それを突き詰めて突き詰めて突き詰めて考え抜いた末のことです。
* * *
そもそも、わたしが、このブログ“SEX-Therapy【セックスセラピー】 presented by Mari Okawauchi”を開設した当初の目的、それは、ただ自分自身の心の奥底を見つめなおし、“男性と『正常な関係』を結べない”自分を変えていこうという、いわば個人的な試みにしかすぎないものでした。
はじめの記事なんて、こんなものです。
でも、書けなかった。
しかし、しばらく経ってみた、あるとき。
気付いたのです。
否、思い出したのです。
これは、わたしだけの問題ではない、ということに。
苦しんでいるひとは、大勢いるということに。彼女たちの心の叫びを聞いてきたことに。彼女たちを想う彼の苦悩を聞いてきたことに。
そう、これは、決して、わたしひとりだけの問題ではない――そして、“SEX-Therapy【セックスセラピー】 presented by Mari Okawauchi”のコンセプトは、いまのかたちに変わったのです。
わたしが、あえて苦痛と向き合うかたちをとり、カウンセリングを自ら受けようとしたのも、そのためです。
・カウンセリング初回
・2度目のカウンセリングを終えて
・カウンセリングで事実と向き合う痛み
・わたしがカウンセリングの記録をアップするワケ
すべては書くために、です。
書くのは、性犯罪の根源に迫り、ひとりでも加害者・被害者を減らしたいからです。
「なんで生かしておいたの? 8歳の少女を殺すことなんて、他愛もないことだったはずなのに、なんで? なんで生かしておいたの? こんなおぞましい記憶とともに生きていかなければならないのであれば、いっそのこと、殺してくれた方がよかったのに!」
――フラッシュバックに襲われ、ひとり、そう、泣き叫んだこともあります。
でも、いまは違う。
声をあげられるのは、わたしたち被害者です。もっともリアルな生の声を。
生きていたからこそ、できることなのです。
わたしは書きます。
命まで奪われてしまった犠牲者たちのために、この命を使わなければ、なんになる?
このペンの力を、復讐にではなく、もっと建設的な方向へ。
社会の過ちを正し、よりよい世のなかへと牽引していくために。
このペンの力を、そして生かされたわたしの命を。
使います。
『空色リボン・キャンペーン』、ぜひ、ご協力ください。
(※なお、『森色リボンキャンペーン』にも、賛同、参加させていただきますが、“SEX-Therapy【セックスセラピー】 presented by Mari Okawauchi”においては、ハンディーキャップの問題も取り上げてはいますが、中核としてきた論点が、まったく無関係ではないけれども、ややそれておりますので、大川内麻里のその他のブログにて、ご協力させていただく所存でおります)
以下、2002年初出の社会批評『メディアと女性』(筆名:麻生暁美)より(わたしが24歳のときですね)、関連箇所を、2箇所、抜粋します。
=========以下抜粋=========
COPYRIGHT (C) Akemi Asou(Mari Okawauchi) ALL RIGHTS RESERVED
私がまず怒りを覚えたのが、番組中痴漢行為に対し、「迷惑行為」という言葉が通されていたことだ。電車内における「迷惑行為」とは、そもそも大きな声でのお喋りや携帯電話の使用(これも心臓ペースメーカーを使用している人にとっては「迷惑」程度のことではないが)などに対して使われるべき言葉である。痴漢は「迷惑行為」などとという次元のものではない。許し難き卑劣な「犯罪行為」である。
強姦などの性犯罪に対し、日本では「暴行」「いたずら」などといった言葉が使われる。このような婉曲表現は、その犯罪の悪質さ、残忍さや重大性を隠蔽するに他ならない。
それが被害者への配慮であるという意見もあるかも知れないが、私はそうは思わない。痴漢や強姦の被害に遭った女性が、晒された恐怖や心に負う傷は、測り知れない程のものがあるはずだ。しかし周囲からは「暴行」「いたずら」などという軽い言葉で、それを語られる。その大きなギャップは、決して、被害者の心をして回復に向かわせるものではない。被害者の受けた傷を軽視しているだけではないか。
多くのトラウマを解決する一歩目は、まず出来事を正しく直視することである。辛く悲しい出来事は「なかったこと」と葬り去ってしてしまいたいのが常であろう。しかし過去の出来事は変えようがない。そこで葛藤が生じる。最も危険なのは、その葛藤を解消するために、「自分が悪い」と思い込み、自らを貶めていくこと。それを防ぐには、まず出来事を真っ向から直視し、憎むべきは誰であるかを正しく認識することである。被害者にとってそれはとても苦しく辛いことだが、必要不可欠な道程である。とすれば「暴行」「いたずら」「迷惑行為」といった婉曲表現が、治癒への過程を弊害するものとなることはお分かりいただけるだろう。
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COPYRIGHT (C) Akemi Asou(Mari Okawauchi) ALL RIGHTS RESERVED
そればかりか、この十年ほどでは、人気アイドルが明らかに低年齢化してきている。私はこのことにただならぬ危機感を覚える。なぜなら、人気アイドルの低年齢化は、幼児性愛者の増加を示唆していると考えるからだ。
警察庁の資料によると、強制猥褻の年間認知件数は、平成八年に4、000件を突破。この年には人気アイドルグループ「モーニング娘。」が、また二年前の平成六年には、小学生がメンバーにいることを売りにし、話題となった「SPEED」がデビューしている。以後、強制猥褻事件の認知件数は、増加の一途をたどり、平成十一年には5,346件、十二年には7,412件、十三年9,326件と、毎年2,000件ずつも増加し続けているのである。
しかし、これはあくまでも認知件数にすぎない。水面下に、誰にも打ち明けることの出来ないまま、おぞましい記憶に苦しめられている少女たちが、どれほどいることか。たとえ、そのときにその行為のもつ明確な意味が分からなかったとしても、成長すれば、必ずそれを認識せざるをえないときがくる。性犯罪は、被害者の心に大きな障害を残す。障害。そう称して憚らないだけの決定的な深手だ。一般的には、男性恐怖に陥ることが想像されるだろう。しかしそれだけではない。逆に男性に依存、執着し、性的逸脱行為に耽溺する場合もある。自己を貶めていくことで、受けた行為とありのままの自分自身との均衡を、無意識下ではかろうとしてしまうのだ。
やり場のない苦しみを、彼女たちはどこへ向けるだろう。――私が女性だったから。私が女性に生まれてきたから。女性にさえ生まれてこなければ・・・・・・。自らの女性という性に、やり場のない怒りと、誤った後悔の念を向けざるをえない被害者も多いだろう。性別に基づく自我同一性、つまりジェンダー・アイデンティティーの危機に晒されるのだ。性犯罪とは、確実な人格破壊である。ジェンダー・アイデンティティーの確立に障害を受けた彼女たちは、心理的に子宮を切除されたも同然の状態なのだ。
前述の人気アイドルに話を戻すと、現在人気を集めているアイドルたちは、いたって平均的な小中学生である。アイドルとは、「見られること」を前提とした職業である。その見られ方は、一方的であり、性的対象物として商品化されている。いまや一般的な小中学生が、性の対象として売り出されているのだ。なんともおぞましいことではないか。ニーズがあるからこそ、プロデューサーはそれを満たす少女を発掘しては売り出す。そしてそれが、またさらなる幼児性愛者の増加を助長する。鶏が先か卵が先かのような話になるが、人気アイドルの低年齢化と、幼女を狙った性犯罪の増加は、密接な関係にあることは間違いないだろうと私は考えている。
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「性犯罪、DV(ドメスティックバイオレンス)、PTSD……傷ついた方たちへ」
* 大川内 麻里のサイト OkawauhiMari.net *
* http://okawauchimari.net/ *
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